1998年6月ごろから、女房と私は里親になりました、里子を育て、躾を教えて、そして、進学までなど、里子の日常生活を中心にして、暮らしています。里子に出された理由は様々ですが、児童虐待、暴力、性的虐待などを受けた子供です。そして、里子は私達と一緒に暮らす時間は短いのは三ヶ月間、長いのは三年間もあります;原生家庭が良くならなければ、帰ることができません。このように、2016年まで、養育した里子はもう22人いました。これらの子供達に一番小さいのは生後10ヶ月の赤ちゃんで、一番大きいのは17歳です。
1999年921の深夜に台湾中部大地震で,私達の家が壊れました、あの時、里子は二人がいました、私は地震の揺れて起こされて。里子を探しましたが、見つかりませんでした、その後、外で二人と会いました。地震が起きた時、二人は自分で外へ逃げました。
地震後、私は別の所に引越しました。二人の里子の一人は18歳になって、私達と離れて自立しました。代わりに、小学校の6年生の女の里子が来ていました。ある日、朝起きた時、二人の里子を見なかった、深夜に私の家から逃げ去りましたと思う。どうしますか?私はすぐに警察庁へ捜査願いを出し、里親家庭支援センタ-へ連絡しました。
このような子供達の健全な成長のため、毎年30時間の教育訓練を受けらなければならなりません、更に心理学、法律、CPRの訓練なども要ります、2016年まで、18年間の里親としての生活を送りました。里親として、一番つらいことは里子と別れることです、私達と一緒に生活するのは5ヶ月しかない赤ちゃんが南投の実家へ帰った時、私は心にぽっかりと穴があいて、涙が出ました。子供をほんとうに可愛く育ていたなら、恩返しは期待しません。愛は無償のものです。私は里親として、こんな当たり前のことを勉強しました。 18年間の里親の生活を送りましたが、困ったことがたくさんあります、人生いろいろと同じだ、夢に似ています。私は65歳で、里親の生活を退職しました、今、結婚した里子が五人います、旧正月の時に、結婚した里子も未婚の里子も私の家へ里帰りにきてくれます。料理を作るのにはとても忙しいですけど、心はとても温かく感じています、これは温かい家と言うのでしよう。皆さん、里親になりませんか?
1998年6月我們夫婦加入寄養家庭行列,開始教養寄養童,跟我們一起生活起居;最短的是3個月、長的有3年,原生家庭還不適當的話,仍然不能回家。這樣到2016年為止,總共養育了22位寄養童;而最小的是出生10個月女嬰,最大的是17歲。 1999年921的深夜台灣中部大地震,我們家被震壞了,當時家裡有兩位寄養童,我被地震搖醒起來找寄養小孩,可是沒找著,之後再外面看到他們2個人。地震後我們搬到另一個地方居住,兩個當中的一個滿18歲要離開我家自立生活。取而代之又安排一位小六的女生,有一天早上起床叫他們吃早餐上學,小孩不見,很震驚怎麼辦;我們就趕快去警察局報失蹤,同時也跟家扶中心連絡,這是我們的責任。
為了小孩的健全成長,我們每年必須接受30小時的教育訓練,訓練課程有心理學、法律常識、CPR的訓練等等。2016年止送走了18年的寄養家庭生活,寄養生活裡最感心痛的是跟寄養童分離;跟我們生活5個月的10個月大女嬰,南投家扶中心來接小孩回歸,我們心裡突有一種失落感,家人都掉眼淚哭泣。這麼可愛的小女孩回去了,並不是期待報恩,愛是無價的。當寄養家庭必須學習以平常心處理分離之事。
18年的寄養家庭生活裡有很多困擾的事,同於人生的種種,像夢一樣;我們65歲滿就要退休,現在已經結婚的寄養孩子有5位,每到農曆過年結過婚也好未結婚的也好,都會回到這第二個家;雖然要忙著煮料理可是感到很溫勳,這不就是說溫暖的家,各位,要當寄養家庭嗎? |