私は退職した後、百姓になりました、ある日、畑から帰って、
”お母さん、ただいま。“と声を掛けました。
母は”お前はどちら様ですか?”と返事しました。
大変吃驚しました、母は私が誰か がわからなくなっているんでした

86歳の母は去年九月に台北から引っ越して、私と一緒に南投に住んでいます。ですから、私は毎日農作業をしたり、母の世話をしたりして、幸せな生活を送っています。45年間住んだ台北を離れた母は、最初の何ヶ月間、よく“台北に帰りましょう”と言って私を困らせていました。また、時々、真夜中に子供達の名前を呼んでいましたが、今は、ようやく新しい環境に慣れてきたようです。

しかし、母は認知障害で突然、私をわからなくなってしまったのでしょうか?
すぐ確認しましょう!
“お母さん、大陸の娘の名前は?”
“しゅうじょ。“
”米国の息子の名前は?
“ゆうでん。”
正しいですね、外国に住んでいる子供の名前を直ぐ正しく呼び出しますが、
どうして、一緒に住んでいる私だけが、わからなくなってしまいましたか?
本当に受け入れ難いです。
”お母さん、僕は貴方の息子、素晴らしい息子よ。”
”ああ、そう?でも、どうして印象がないねん?“
なんと悲しいことでしょう。まさかこれから、親子の間は、見知らぬ赤の他人のようになってしまうのでしょうか?
“お母さん、真面目に考えて、僕は誰?”
“ha ha ha---!お前はお父さんの子だよね”
ええ、まだ、意識が大丈夫ですね。暫く記憶が喪失しただけではないのでしょうか?

母はいつも五時ごろにお風呂に入って、それから、晩御飯を食べます。
ある日、母は晩御飯を先に食べると堅持しましたが、入浴後,また晩御飯を食べようと言い出しました。
”お母さん、もう食べたよ。“
”いいえ、まだ、絕對、食べてない!“
仕方がないので、また、ビスケットをあげました。

あれから母は、よくおかしな話をするようになりました。
例えば、“昨日来た子供が今朝彼のお父さんにつれられて帰りました”とか、玄関を指さしながら、“むこうに立っている子供は誰?”など、全然ない事を話すようになりました。怖いでしょう!母は私達が見えないものが見えているのでしょうか?

また、母は妻の態度に対してなんだか敏感になっています。それで「私がお母さんに食べ物を上げるとき、貴女は何も言わないで黙ってください」と妻にお願いしました。なぜならば、もし、その時、妻がそれと関係ない事をしゃべったとしても、母に誤解される恐れがあるからです。このように親を世話するということは、見える事だけじゃなくて、心理的なことも気に掛からなければならないと思っています。

母は認知機能障害がありますか?この疑問の答えはあまり重要ではないと私は思っています、いくら受け入れ難くても、私の責任はベストを尽くして母を世話すべきだと決心しました。 つまり脳の機能が失いつつある母であっても、きっと私と同じように幸せ一杯の感じを持っていると思います。


退休之後我成為一位種田的農夫、有一天、從農田工作回來、
我喊著”媽媽,我回來了”。
母親回答:”你是誰啊?”。
太吃驚了、母親竟然認不得我是誰了.

86歳的母親,去年九月從台北搬到南投與我同住。因此、我毎天一方面從事農業生產、一方面照顧母親、過著幸福的生活。離開住了45年的台北、母親最初幾個月、常常吵著說“我们回台北吧”,讓我很困擾。也常常在三更半夜呼喚子孫们的名字、但是現在已經大致習慣新環境了。

可是、母親是不是因為認知障礙,突然認不得我了呢?趕快來確認一下
“媽媽,住在大陸的女兒是誰呢”
“淑如啊!“
”那麼,住在美國的兒子是誰呢?”
“永佃啊!”
完全正確呢、住在國外的小孩、可以馬上正確叫出名字來,可是為什麼就認不得住在一起的我,真是叫人難以接受啊!
”媽媽,我是妳兒子啊!很棒的兒子啊!”
”啊!是嗎?為什麼我都沒印象呢?“
真是太悲哀了。難道從今以後、親子之間就像彼此不相識的路人了嗎?
“媽媽,請您再認真想想看,我是誰呢?”
“哈哈哈!你是你老爸的兒子”
耶!、意識還沒問題嘛!。只是暫時失去記憶吧!

母親總是下午五點左右洗澡、然後用晚餐。
有一天、她堅持要先吃晚飯、可是洗澡過後,竟然説我们吃晚飯吧!。
”媽媽,晚飯早就吃過了“
”不,還沒,絕對還沒吃!“
真是沒辦法,只好再給她吃點餅乾。

從那時候開始,母親總是說些奇怪的話。譬如”昨天來的小孩,今天早上被他爸爸帶回去了”還有,手指著門口說”站在門口的那個小孩是誰啊”等等,完全沒有的事,她卻說了,好恐怖!母親是不是看到了我們看不到的東西?

再說、母親對太太的態度是何等的敏感!。因此我拜託我太太「當我拿東西給媽媽的時候,請妳安靜不要說話」。為什麼呢?、假如那個時候妻子即使只是説了不相干的話,都可能讓母親產生誤解。看來照顧雙親,不僅僅要注意看得見的事、心理方面的事也要非常留意。

母親有認知機能上的障礙嗎?我認為這個疑問的答案不是那麼重要、無論怎麼難以接受、我的責任是盡最大的能力把母親照顧好。盡管腦的機能已漸漸喪失,但我相信此時的母親,一定同我一樣,內心洋溢著滿滿的幸福。