私は小さい時から保守的な環境で育ちました。昔の小學校は今のように遊覽バスに乘って都會の名所舊跡を見學する事が出來ず。殆が徒步で近くの山登り位の程度のピクニツクでした。女學校に入ってから四年間の日本へ行く卒業旅行の制度がありましたが,終戰となって,その夢もはかなく消えてしまいました。
そして教員になってから,その夢が一つ一つ實現しました,生徒を連れての旅行は責任が重くて樂ではありません。後程,國外旅行が始りました。車によう私は遠い國には行きません,殆でが日本です。北海道に行た時,紅葉の真盛りでした。車に沿た两側は真赤な紅葉で一ぱいでした,十和田湖に着いた時紅葉に圍まれた湖の景色はとても形容しがたく「百聞一見に如かず」です。そして上野の動物園に行く時地下道を通るのが始めてなので東西南北を注意しなければ迷い子になりそうです,そこで可愛い「パンダ」を見ました。
一番印象に残ったのは清水寺の木造の建物が一本の釘もつかはずに丈夫に立派に建た一大奇蹟でございます。昔の建築技術が日本でどれだけ發達したが「推して知るべし」です,そして東大寺の建物に人民の髮でつくった繩がまだそこに残って說明を聞きながら写真を一枚取りました。旅は道ずれ世は情,今回の旅行で澤山の日本人と知り合い話し合ったり,親切にしてもらい,すぐに友達になりました。一度主人について,千葉の幕張メツセの心理衛生國際大會に參加した後,能の踊り太鼓たたきお琴おみこしかつぎなど日本民間藝術活動を見學させてもらいました。服裝がとっても綺麗で參加者は目もまばたかせずに,しきりに拍手を送りました。
幕張メツセの心理衛生大會は世界各國專門家のスピ-チ大變印象深い旅でした,さて旅行は旅行のコ-スを旅行社に任せお荷物はきちんと片附けパスポ-トは大事に保管し万一使う時に便利です,そして現金をけい帶する時はあらがじめ預算を立てる事だと思います。そこで旅行と言うものは純粹の旅行,夫婦二人の樂しむ旅行ばかりでなく,世界各國の風俗習慣を學び生活の改善を計り生活の充實を目標とする旅でございます。
人は度量を大きくし常に人を助けるべき事だと思います,要するに旅行は樂しいもので旅行中は家庭の一切の雜務を忘れて、旅行の樂しみに「自己沒頭する」のです,そこで旅行は樂しい活動です。皆さんも經濟の許すかぎり時間の有り次第皆で旅行を樂しみませう!
自幼成長於保守環境的我 , 小學以至於高中從未品嘗過旅遊的美味,
即使進入第三高女後 , 雖依照慣例有每年繳交累積4年以舉辦暢遊日本的慣例
, 可是天公不作美,眼看夢寐以求的日本之旅就要成行,
隨著珍珠港的轟声終於無法成行。真是只要命中所無 , 明明就要入口中的魚
, 也會被死貓咬走了 , 神不准的東西
, 儘管你有三頭六臂又能怎樣呢 , 這是我做了十年的日本旅行之夢
, 不得不夢碎的來龍去脈。
俗語說只要你有心 , 神是不會為難有心人 。台灣光復後隨著我進入小學執教以後
, 千求萬求成不了真的旅行之夢 , 後來不求自來 。 但是
, 這種旅行雖然是不求自來 , 但是對於學生的安全
, 必須分秒不得分心 ,
一旦出事必須負起全責。如此對於學生的舉動分秒灌注全神不苟 , 且不分心的緊張旅遊
, 是毫無享受可言。但是教職員全體之旅遊有說有笑 ,
車內還有任人高歌一曲的卡拉OK,心情是輕鬆快樂
, 這才是遊山玩水之旅。
晚年退休後的日子中,日本旅遊,最能使我這個自小居住於日人住宅區附近、小學與中學都是和日本小孩一起玩、一起讀書一起說說笑笑長大
,說日語比說台語容易出口的台灣子弟一圓東瀛遊之夢。北海道 ,
道路旁的楓樹枝樹葉鮮紅 ,風光之美真是天下一絕
,
紅葉圍繞的十和田湖的風光 ,真是美得不知要怎麼來形容的
,用我們祖先所留傳下來的一句俗語 『百聞不如一見』來形容最貼切。行程中留下最深刻印象的就是
, 清水寺的木材建構中居然沒有用到一隻鐵釘 ,
卻經歷數十代歲月居然毫無動搖、安然留存到今天 , 和現在的鐵筋建築相比毫無遜色。
日本人是最重感情友愛的民族 ,
我曾在路途和一位日本婦女相遇交談幾句話就成為好友 , 她發現我的眼鏡有些塵埃
, 便趕緊用手帕幫我擦拭乾淨 , 這種動人的貼心友誼是我生平第一次的經驗
, 我問他的公子認不認識東鄉元帥和乃木希典 ,他居然說不認識
, 我才恍然大悟 , 我們以往尊敬如神的日本軍國主義時代大將不再受到重視,和台灣一樣已被民主思潮取代了
, 我想這是最令人高興的時代在改變中。
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