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  母の教えてくれたこと  

媽媽告訴我的事

 
 

2011年日語組幽默演講第 一名 伊藤牧子 中央日語

     
みなさん、これはメロンです。美味しいですよね。実が柔らかくて甘くて、私の大好物です。私が子供の頃、私のうちでは、メロンは高級品、高くてめったに食べられませんでした。ですから母はメロンを買って来ると、小さく切って、今日の分、明日の分、明後日の分、明明後日の分と分けて食べていました。   你們看, 這是哈密瓜. 看起來真好吃啊. 又甜又軟, 我最愛吃哈密瓜了. 可是在我小時候, ,哈密瓜對我家人來說太貴, 無法常吃. 所以如果媽媽買了哈密瓜的話, 她會切成一小塊一小塊, 然後分為今天吃的, 明天吃的, 後天吃的, 大後天吃的......不過有一天媽媽給我這麼大的一塊說,
     

ところがある日、母はこんなに大きなひと切れを私にくれて、

「牧ちゃん、ひとりで食べてもいいよ。」と言いました。
 

牧子, 這一塊, 妳可以一個人吃.”

, 謝謝媽媽. 看起來好好吃!.”

 

     

「わあ、ありがとう、お母さん。美味しそう。」パクパクパク。「ああ、美味しい。」パクパクパク。「ああ、美味しい。」パクパク。「はぁ、美味しい。」パクパ「はぁ…。」スースースー…30分後。

 

一口一口又一口地吃著., 真好吃.” 接著, 又一口又一口地吃 , 好好吃.” 然後 哈〜, 好吃.”  “哈〜......” (我連著打了好幾個哈欠.) 30分鐘後.

     

「あっ、私のメロン。私のメロンがない。私のメロン、どこ。どこ。…ああ、見つけた。」

 

!!! 我的哈密瓜. 我的哈密瓜不見了. 我的哈密瓜在哪? 在哪? , 找到了!!!”

     

母は私に、

「だって牧ちゃん、メロン食べながら寝ちゃうんだもん。お母さん、とっておいてあげたから、早く食べなさい。」

ああ、よかった。なんて優しい母なのでしょう。

 

媽媽說,

牧子, 妳一邊吃一邊就睡了. 我把哈密瓜放在那裡. 妳趕快吃吧.”
 

太好了. 我親愛的媽媽幫我留著哩.

     

私のもう一つの大好物は、ソフトクリームです。初めて台湾の夜市のあの背が高いソフトクリームを見たときは、あんなにたくさんのソフトクリームが食べられるなんて幸せだろう、と思いました。

 

另一個我愛吃的東西是冰淇淋. 我第一次在台灣的夜市看到很高的冰淇淋的時候, 相當感動. 我覺得能吃那麼多的冰淇淋一定很幸福.

     
私が小さいとき、ある日母がソフトクリームを買ってくれました。私は喜んで食べ始めました。

ペロペロぺロ。「ああ、本当に美味しい。」ペロペロぺロ。「ああ、美味しい。」ペロペロ。「はぁ、美味しい。」ペロペロ。「はぁ…。」スースースー…一時間後。
 

我小時候, 有一天, 媽媽給我買了一個冰淇淋. 我很高興得開始吃.

peroperopero. “, 真好吃.” peroperopero “, 好吃.” peropero “哈〜, 好吃.”  peropero “......”1個小時後.

     

「あっ、牧子のソフトクリーム、ソフトクリームがない。私のソフトクリーム、どこ。どこ。」

母は、

「だって牧ちゃん、ソフトクリーム食べながら眠っちゃうんだもん。溶けるからお母さん食べてあげたよ。」

 

哎呀!!! 我的冰淇淋. 我的冰淇淋不見了. 我的冰淇淋在哪? 在哪? ”

媽媽說,

牧子, 妳吃就吃就就睡了. 所以我幫你把它吃了.”

     

ああ、残念。ソフトクリームは一時間も待ってはくれませんでした。

でも母が言うには、私はソフトクリームを握ったままの手で眠っていたそうです。きっと夢でソフトクリームを食べていたのでしょう。

  哎呀. 好可惜呦...冰淇淋不能等我一個小時.


可是聽媽媽說我雖然睡了
,但我手卻一直是握冰淇淋的樣子. 一定在夢裡吃了冰淇淋吧.
     

私の母曰く、私は睡魔はなにものよりも強かったそうです。立ったまま眠ったり、歩きながら眠ったり、一度は自転車をこぎながら眠ってしまい、道の側溝に落ちて耳を怪我してしまったこともありました。夜眠ったまま転がって行き、夜中に父と母が起きて私を探し回って隣の隣の廊下で私を見つけました。きっと両親には大変な心配、迷惑をかけていたことでしょう。

  媽媽說我的睡魔比甚麼都強. 我會站著睡, 一邊走一邊睡, 有一次還一邊騎腳踏車一邊睡,結果摔落到路溝裡, 我的耳朵還受傷了哩. 還有另外一次, 我晚上睡覺時滾下床. 半夜爸爸媽媽起來, 發現我不見了. 焦急地到處找. 當他們找到我時, 我竟然在隔壁的隔壁的走廊睡覺. 我想我一定給他們添了很多麻煩.
     

こんなに世話をしてくれた母に、わたしはひとつ謝らなければならないことがあります。

 

而他們仍細心地關照我, 可是我有一件事要向媽媽道歉.

     
それはある日、母が私を散歩に連れて行ってくれた日のことでした。玄関をでて歩き始めて少ししたところで、母は鏡を見て来るのを忘れたことに気づきました。「あら、私の顔、大丈夫かしら」と思った母は、抱いていた私に尋ねたそうです。   那是有一天媽媽領著我散步的時候的事. 我們出門開始走路.不久媽媽想起來他忘記打扮整齊. 媽媽擔心她的臉髒不髒, 便問我
     

「まきちゃん、お母さんの顔、きれい?」

…でも何も私は何も答えません。心配になった母は続けて尋ねました。

 

牧子, 媽媽的臉漂亮嗎?”

可是我一句話都沒回答. 他繼續問,

     

「お母さんの顔、きれい?きたない?どっち?」

「あっち。」

 

媽媽的臉漂亮還是不漂亮, 哪個?”

那裡.”

     
私は「あっち」に散歩にいきたかったのです。きっとお母さんはきれいだったけど、私の頭の中は散歩のことしかなかったのでしょう。こんな失礼なことを言ってしまい、ごめんなさい。   我只想到要去散步的那邊, 媽媽的臉一定很漂亮但是我只想散步的事. 對不起, 媽媽. 請願諒我.
     

でも、母の教えてくれた幼い頃の思い出は、私の人生を豊かにしてくれました。幼くて覚えていないこと、眠っていて気づかなかったかった時間の記憶まで私に与えてくれたからです。お母さん、ありがとう。

 

媽媽告訴我小時候的回憶讓我的人生豐富了許多. 因為我太小不記得的事, 或者我在睡覺所以不記得的事, 媽媽把這段時間中發生的事情也變為我的回憶了. 媽媽, 謝謝妳.